なぜ外科医の私が遺伝子治療の提供を続けるのかcancergenetherapy

私は医学部を卒業後、外科医の道を選択しました。サイエンスとアートの両面が求められる外科医に魅力を感じたからです。入局した東大第一外科(現在:腫瘍外科、血管外科)は、胃がん、大腸がん、肝臓がん、膵臓がんなど消化器全般のがんや乳がんや甲状腺がんなどの内分泌線のがんを含むがん全般の手術を担当していました。また、腹部大動脈瘤や動脈硬化症に対する血管置換手術/バイパス手術などにも対応しており、呼吸器と脳を除く全身のがん治療と血管の治療という外科医に求められる技量を殆ど全て身に付けることができました(現在は医局の臓器別編成が進み旧第一外科の対応臓器は大腸と血管に限られています)。
東大第一外科の医局及びその関連病院は、がんの手術を担当する外科医を目指した私にとって自らの技量を高める上で絶好の環境でした。修練の場となった東大附属病院、虎の門病院、三楽病院などでは、胃がん、大腸がん、乳がん、肝臓がん、食道がん、膵臓がん、腹部大動脈瘤などの外科的治療を執刀医として豊富に経験する機会に恵まれました。当時(20年ほど前)、執刀した患者さんの多くの方から今も年賀状を頂戴しています。手術によりがんを乗り越えられた方々から、今になっても元気だという知らせをいただくのは医師として至上の喜びです。
一方で、がん手術を担当していた頃の経験として忘れられないのは、手術によって救うことの出来なかった患者さんのことです。すなわち、がんが相当に進行して他の臓器に転移しており、手術でがんを全て取り除くことができない(広範囲に広がったがんを手術で無理に取り除くと生命活動に必要な臓器が犠牲になり生命が維持できなくなるため)状況の患者さんです。また、完全に切除したはずの患者さんが、数年後にがんが再発してもはや手術の出来ない状態で来院されることもありました。手術では完全に切除されたと判断されても、目に見えないがん幹細胞が体のどこかに残っていて、その後しばらくしてから暴れ出すこともあるのです。
そのように手術ができない患者さん方は、抗がん剤治療等で延命するのが精一杯です。治療が尽きて、結果としてその最期を看取ることになるのは外科医として極めて無念でした。
白血病や悪性リンパ腫などのがんを除いて、殆ど全ての固形がん(胃がん、大腸がん、肺がんなど腫瘍を形成する多くのがん)は、原則として手術以外の方法で根治することはできません。咽頭がん、食道がんなど放射線治療でコントロールできるケースも出てきましたが、少なくとも薬剤のみによる治療(抗がん剤治療を主とした化学療法)でがんを治癒させることはほぼ不可能です。化学療法が治療の切り札になるのは、「がん切除後の病理検査で再発の可能性が高いと診断された際に、再発予防のための補助療法として実施される場合」です。それによりがんの再発が完全に抑えられることがあるからです。
しかし、手術ができないほどに進行したがんや、手術後に再発を来したがんは、化学療法により完全治癒する例は皆無です。そのようながんに対する化学療法の目的は「少しでも長く延命させること」になります。総合病院に外科医として勤務していた頃、私は抗がん剤による化学療法で延命治療に従事せざるを得ないことが多々ありました。がんを完全に克服することを望んで副作用に耐える患者さん方に、治療(化学療法)に限界があることを伝えざるを得ないのは辛いことでした。
手術で多くのがん患者さんの命を救うことができた一方で、手術ができずに抗がん剤治療などの延命治療を余儀なくされ、結局は最期を看取ることも多々ありました。
2000年に独立してからは、がんを克服するには早期発見・治療もしくは予防が極めて重要であるとの思いから、それを成就するための医療に専心してきました。一方で、早期発見や予防に努めていたにも拘らず、不幸にも進行がんや再発がんの状態でがんが発見される方への有効な対処法も創造、発見できないものかと思案してきました。
昨今では、腫瘍内科という化学療法を用いたがん治療を専門とする科の先生方の尽力により、進行がん、末期がんの患者さんの予後も以前に比べれば大きく改善しています。しかし、一方で、がんの克服を目指した患者さんやそのご家族が、その死を不本意な形で迎えられるケースも相応に見受けられます。

がんの進行が激しくもはや抗がん剤治療による延命治療も受けられなくなった方々、抗がん剤の副作用があまりにも強く生活の質が著しく落ちてしまった方々、そのような患者さんが希望をもって臨むことができる治療法はないものでしょうか。その命題に応える治療として遺伝子治療は期待できるものです。遺伝子治療を普及させる上でまだ課題は多いですが、大きな副作用がなく難治がんからの回復が期待できる点で真剣に取り組む価値のある治療法だと日々感じています。
がん患者さんを外科手術で救えるかどうかは、外科医の腕の良し悪しではなく、治療をする際のがんの病期が早期か否かが、大きく関わってきます。どんなに腕の良い外科医が手術を担当しても既にがんが全身に広がってしまっている場合は、手術でがんを治すことはできません。
しかし、遺伝子治療は手術不能のがんに対しても、治癒ないしはコントロールを目指せる治療法です。外科医である私が、進行末期がんの方々に遺伝子治療を提供し続けている理由はそこにあります。